入院の話し①
緊急入院してから家に帰るまでの入院期間は2022.01〜2022.11でした。
脊髄損傷の方達は長い方はもっと入院してる方もいるようですね。
10ヶ月でも長くて長くて辛かったな。
急性期病院6ヶ月
リハビリ病院4ヶ月
始めの2ヶ月位は記憶なし。受け答えはしていたらしい。ICUで死にかけてた!!
6ヶ月位までで体についていた沢山のセンサーや管は取れたかな。
でも自由に動くことはできないのでリハビリ以外はベッドの上でした。
6ヶ月もいるのに病室とリハビリ室の往復しか分からなかったです。6ヶ月目で病院のコンビニや敷地内の海を見に外に連れて行ってもらえてとても嬉しかったのを覚えています。
普通急性期病院って3か月間で転院するみたいだけど僕は熱がずっと高かったりで転院ができなかったらしい。
寒い寒い、布団がほしいって言っても熱が高すぎて、冷却マット引かれてた覚えがある。
でも1番辛かったのは、体が動かないことももちろんだけど、排泄関係です。
ある日気付いたら、おむつ履いてて自分でトイレに行くこともできないし、きれいにして履き替えることもできなかった。
コントロールも難しくてリハビリしかすることないのにリハビリ行くと便意がきたり、きれいにしてもらったのにまた汚してしまったり、自分が嫌で嫌で仕方なかったです。
退院近くになれば自分で座薬使ってコントロールしてトイレに座ってできたから楽になりました。
それは嬉しかったですね。
あと辛かったのは、気管切開していたから喉にたんが溜まって苦しかった。
取ってもらうのも看護師さんによっては痛い人もいたり、上手に取れてない人もいた。
忙しいのか取ってと言ってもまだ大丈夫ですよって言って取ってくれない人もいた。
我慢しすぎて、喉のキャップとれてたんが出てることありました。
体も動かない、声も出ない、匂いもわからない、呼吸も苦しい。
なんで生きているのかなぁって毎日考えてしまっていましたね。
病気になる②
目を覚ました僕の体は目が動くだけ。
首だけ動きそうだけどすごく痛くて酷く寝違えている様だった。
腕には点滴がささっていた。
鼻には管が入っていた。
喉には穴が開いて機械が繋がっていた。
おしっこの管も入っていた。
指と胸にもセンサーみたいなものが貼っていて心電図モニタの様なものがおいてあった。
先生が来て
脳にウィルスが入って髄膜炎になったと教えてくれた。
なにか大変なことが起こったのだろうと思ったけど、脳がダメージを受けていたせいか深く考えることもできなかった。
それから3月まではご飯は食べられず鼻から栄養を注入した。
喉に穴が空いているので声も出ない。
体も動かない。なにかあったらナースコールを押してくださいって言われても、どこにあるかわからないし、届かないし、声も出ない。
毎日何時間もかけて点滴をしてた。
生きているだけだった。
生きているのかもよくわからなかった。
体の感覚も時間の感覚もわからなかった。
メガネをかけないと1メートル先の人の顔もわからないほど視力が悪いのに、3か月間メガネもかけていなかったらしい。
地獄の始まりだった。
病気になる①
- 僕が病気になったときのこと書いていきます。
同じような病気と闘っている方と出会えたり、病気のこと知っていただけたらと思います。
僕は2022年の10ヶ月間を病気で入院していました。
病名はウィルス性脳髄膜炎
発症したのは2022年1月初旬。
お正月休みが終わって新年出社して
明けましておめでとうございます、今年も宜しくお願いします。
と社員の皆さんに挨拶廻りを一通り終える前、出社2日目でした。
なんだか今日は熱っぽいなと感じていて、頭痛もあって治まる気配がありませんでした。
正直、正月休みはお店にご飯を食べに行ったり、都会ではありませんが人混みも多少あるところへ何度か行きました。
コロナになったのかなと思いました。
コロナも周りにチラホラかかる人も出て来て、ワクチンも打っていましたし、かかってしまったのなら仕方がない。
でも周りにうつさないようにしようと思い、昼で帰ることにしました。
次の日もやはり症状は改善しなかったのでコロナの検査に行きました。
熱と頭痛に苦しみながら、次の日に電話がありました。
コロナは陰性でした。
その時は、会社や友人達に迷惑をかけなくて良かったと思いました。
しかし
その晩、症状は悪化していき熱は40℃を超えました。
今まで経験したことのない頭痛と目眩、体の感覚の異常
朦朧とする意識の中で家族に夜間診療に連れて行ってもらいました。
そしてそのまま意識は遠のき···
目を覚ますと2月が終わる頃でした。
そして僕の体は動かなくなっていました。